強さを

背中を見ると、痩せているのにどうしてこうも広いのだろう、と、不思議に思うのだ。思い出せばそれは初めて君の背中を見たときからなんだ。あの時も、君は痩せているのに背中は広い、不思議だ。と思ってサ。

寄っかかってみたいとか、そんなオトメなことを考えたりはしなかったけども、今思い出すと、てのひらをくっつけてみたい。そんなふうなことは考えた。オレのこの氷のよーに冷たいと評判の、タナゴコロ。触れると思わずみんなとびすさる、タナゴコロ。

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2009.01.02.20:01 | トラックバック (0) |

あったること。

あれは、あったること。
一度でも? 一度でも。一度だからこそ。
二度でも。 二度とも。二度、それでこそ、あったること。三度とは、三度目は、あったらばいけない。踏みとどまれ。三というのは特別な数になる。一度はどこにでもある。二度は、やはりどこにでもある。けれど意識の表層に届く。一度目から近ければ近いほどいけない。三度は、行きたければ行くのがよい。とどめたいなら、届いてはいけない境界。
行きたいのなら行くのがよい。走りたければ、走るのは自由だ。けれども走らずにきた。走り出す幻だけ見送って走らずにきた。畏れていたのかもしれない。畏れていて、とどめたのなら、畏れを敬っていい。走らずにいて、傷つくこともなかった。「あったること」を、目覚めさせずにきた。

だから今度も、踏みとどまっていたいんだ。できるなら。

2008.11.01.21:16 | トラックバック (0) |

絶壁、その真上

落ちるにまかせ。まかせたがるド阿呆。落ちてみたい好奇心。
それを、善でも悪でもないただの純粋な衝動だと君が言うのなら、そんなのは勝手だ。生命の突き進むに必要な所謂、衝動だと言うのは、勝手だ。けれどその勝手な衝動の犠牲に、なりたいと思うか。君がそう思うか。

キャタピラの進む先に横たわる犠牲ってものに。踏みにじられ、衝動のままに踏みにじられ、後で君が我に返った時に手にとって憐れむような対象に、自省を促すためのきっかけを与える役割のよーな軽さに、甘んじたくはない。それよりも傍観者を選ぶよ。僕ぁね、一番苦手なのは、当事者になることだから。
その綺麗な横顔、他の誰かのとなりに転がしておくほうがいい。
僕の世界ならばもう完成している。僕の内で、そして身体の外数ミリのところで、僕の世界は完成しきっている。そこに無理に鼻を突っ込んでこないでほしい。ヒビを入れないで、ほしい。壊れてしまう世界の中に、立ちたくはないんだ。

呼びたいように呼んでくれていいよ。
だけど、こんなのは じゃない。

2008.06.06.21:11 |

垂鐘

紙を切り、記憶を鮮明に明確にしようと試みても、遅くともやはり春のさなかで。
ひとつひとつ克明に掘り起こして最後には行き着く。真横で傘をさしかけていたこと。真後ろで叫んでいたこと。目の前を何度も右に左に。そうして表返す4枚は、どこにも未来を頼まず。

街中のすれ違いを無理矢理大判に引き延ばしたかのような、要するに「無理矢理」な解釈。義務かそれとも、という選択を自分に迫るところで既に無理が生じる。「それとも」なんて言葉に続く可能性はあり得ない。

がたがたと脱線しそうな車輪。そっと、しておけ。

2008.04.27.15:40 |

しあわせふしあわせ

本は読み終わりたくなければ読むのをやめることができる。
時間はそうはいかない。

止めることも戻すこともできない。
終焉が、やがて来る日がいつなのかわかっていれば、態度も変えようがある。後悔するようなことは思わない、言わない、やがて来るものがいつなのか見えていれば。
いなくなって楽な点も確かにある。そういうことを考えるだけで人間性疑われるような気もして後ろめたいけれど、それはある。カチャカチャいう音が耳障りでイラッとしたこともある。こんなんなら早く終わってしまえば、と思ったこともある。
けども、「楽」な点とゆーのは記憶の中に生き残らない。失ったという喪失感だけがいつまでも残る。楽なことなど、はじめから無かったことのようになる。

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2008.01.19.21:56 |

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